ややこしい名前の話
公開日 2023年2月3日
あらさわ あらや あしろ あっぴ。
荒沢 荒屋 安代 安比
「あ」が付く地名がどんどん出てきて、説明している人も混乱してしまいます。
そこで、安比塗の話をするにあたり、この名前の整理を試みてみます。
「安比塗」。読み方は「あっぴぬり」。
「安比塗」の名前は実は1980年年代に名付けられました。
まだ生まれて40年あまりだとすると、工芸としては新しく感じますが、長い歴史を経て、新たにつけられた名前なのです。
安比という名前は、スキーをする人はパウダースノーの良質な雪の「安比高原のスキー場」を思い浮かべるでしょう。
ですが、歴史の中で重要な役割を果たしているのは「安比川」です。
この安比川沿いは地元では「漆街道」と呼ばれているとか。
江戸の昔から、安比川の秋田に近い上流域はブナやトチの森。採られた丸太は川を利用して木地師の元へ。
その木地は中流域にいる塗師に亘り、下流域には漆掻きが多く住み良質な漆を採取していました。
塗師が多くいた中流域には、盛岡から秋田の大館まで続く鹿角(かずの)街道の継所として栄えた荒屋新町があり、
ここで4の日に開かれる市(いち)では、漆器の販売だけでなく、道具や木地の売買も行われたと言います。
安比塗と呼ばれる前は、その地名から荒沢漆器と呼ばれる漆器がありました。
ちなみにこの荒沢という地名は1889年に荒屋村と浅沢村が合併してできた地名とか。
さらに1956年に荒沢村と木地師の村である田山村が合併してできたのが安代町。
安比塗の元となる1983年に塗師養成校が設立された時の名前は安代町漆器センター。
盛岡から安比塗漆器工房に近い高速バスのバス停は「テレトラック安代」。
かつて、民藝の提唱者・柳宗悦は機関紙「工芸108号」にて、「荒屋新町の漆器」に好評価を与えています。
邪気のないかたちと絵に柳は喜んでいます。
しかし、「只安物である為、塗りが落ちて堅牢を缺(=欠)くのは如何にも惜しい」と、容赦ない一言も。
当時の(荒沢漆器と思われる)荒屋新町で流通された漆器は、まさに生活雑器。
椀や皿は籠にザクザクっと入れて、野良仕事の時に持って行き、昼飯や休憩の際に使ったそうです。
下地に柿渋を塗り、その上に漆を塗っていました。
柿渋は木地の撥水には役立ちますが、その上に塗った漆が剥離することがしばしばです。おそらく柳はその剥離のことを「堅牢さを欠く」と、指摘したと思われます。
で、今、安比塗として、新たに名付けられた漆器はどのような作り方をしているかというと、
下地は生漆(精製していない漆)をまず塗ります。その後、砥粉(砥石の粉)を混ぜた錆漆や、
弁柄(酸化第二鉄)を混ぜて中塗りなどをしますが、いずれも漆の塗り重ねです。
安比塗の職人は「丈夫に塗っています」と胸を張ります。
野生味あふれるかつての荒沢漆器と同じ扱いはお勧めできません。
正直、籠に裸の状態でザクザク入れたら、ふっくらと塗られた安比塗は、移動の衝撃で傷つくでしょう。
ですが、日々、家の中での日常使いにはピッタリ。
油物も乗せられますし、ご飯粒がついたら、米粒がほぐれるまで、水を張っておいておいても大丈夫。
安比川の恵みにより生まれた荒沢漆器は荒屋新町の市で柳宗悦に見付けられ、高度経済成長で消滅。
その後、1983年に安代町漆器センター(現・安代漆工技術研究センター)で新たな塗り方に生まれ変わったのが安比塗。
ややこしいので、「安比川の恵みに端を発した、安比塗」と覚えてください。
経済産業省指定の伝統的工芸品は100年の歴史を有したものしか指定されませんが、
安比塗も生まれてそろそろ40年。
そのベースには江戸から続く、安比川沿いの漆街道の漆器の文化があることを、どうぞ、お見知りおき下さいませ。
参考文献
奥南部漆物語(日本遺産奥南部漆物語推進協議会発行)
https://urushi-okunanbu.com
■文責 日野明子
■写真 minokamo(長尾明子)